三線教室 ONLINE 東京 by 豊岡マッシー

宮古生。首里育。東京在住。イチャリバーズ 三線 二胡 歌 絵画アーティスト 三線とオンライン教室のブログ YOUTUBE配信毎日やってます

沖縄復帰50周年 ソング「タカラぬシマ」完成

タカラぬシマ(作詞作曲 歌演奏 映像)豊岡マッシー
完成しました。
復帰の5月15日までにアップできました。よかった。


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思いっきり沖縄のことを歌おうと思い
「ウチナー」っていうサビはだいぶ前から決まってましたが
沖縄本土50周年といっても喜ぶような沖縄の現状でもないし
どういう歌詞にすればいいのか悩みながらも、
それでも何か作らなければという思いで作りました。結果マッシーのここ10年くらいが凝縮されています。

タカラぬシマ 作詞作曲 豊岡マッシー 

時は1972 (復帰の年)
アメリカ世から大和世 
お金も変わり道も変わり(ドルから円、730で車は右から左へ)

南の小さな島から
カンムリワシが飛び立ち
誇り取り戻したあの日(具志堅用高

風に揺れてる赤花
太鼓三線の響き
首里の歌姫が舞い降りる(安室奈美恵

でもいつも傷ついてる
フェンスに咲いた花よ(基地のフェンスにつけられた抗議のリボン)
ただこの島を守りたい

ウチナー 我した島 
大切なこの島
世界に知らそう宝ぬ島(ヒヤミカチ節)

テレビから流れてくる
懐かしいウチナーグチ
笑顔あふれる島の人よ(NHKちゅらさん

目を閉じれば思い出す
肌をつきさす太陽
ウージの森が揺れるざわめき(BOOMの島唄

いつしか島も変わり
憧れのパラダイス
嵐世ぬ傷跡も薄れ(戦争の記憶)

でもいつも泣いている
埋められる美ら海よ(辺野古
ただこの島を 抱きしめたい

ウチナー 我した島 
大切な この島
世界に 知らそう タカラぬ島

台風で 壊れても
御城(ウグシク)が 燃えても(首里城焼失)
受け継ぎ 伝える 
ただひとつの 宝ぬ島

1972年の5/15日
アメリカ軍の施政下から日本になりました。
僕が4歳の時です。
全然覚えてないですが。

宮古島から那覇首里に引っ越したのが小学一年生の時
海洋博は1975年。
これは覚えてますね。
具志堅さんがチャンピオンになったのが1976年
これで勇気づけられたウチナーンチュは多かったはず。
世界一になれるんだ!っていう自信になったと思うよね
そして車が右から左に変わったのは1978年
730のキャンペーンは覚えてるよね。
未知との遭遇のポスターに似ているから
パクりだ〜とか思ってた(笑)
スターウオーズがやっていた年でもある。
そっちの方に夢中でしたね。

80年代はJALの沖縄キャンペーン
これの影響で沖縄のイメージがリゾートアイランドになった
今思うとこれは本当に大きな変化だったと思います
昔は沖縄旅行のメインは慰霊だったからね。

90年代とともに自分は東京に出てきます
このあたりからですよ
沖縄が俄然注目されてきた
ワールドミュージックの中で沖縄音楽もどんどんでてきた

坂本龍一さんががっつり取り入れていて
沖縄民謡がこんなにカッコ良くなるんだ!って衝撃でしたね
80年代はまだ民謡よりもオキナワンロックが有名だったからね

撮影場所
辺野古の浜、キャンプシュワブのフェンス、潟原干潟、ハンタン山のアコウ、瀬長島、ブセナ、ブルーシール首里石畳、弁才天堂、首里城、瀬名波ビーチ、渡口の浜、池袋西口、早稲田公会堂、かりゆし水族館、新原ビーチ、安和海岸、佐和田の浜、17エンド、名護58号線、成美教育文化会館