戦後沖縄の養豚業は壊滅状態でした。
ここで助けてくれたのがハワイの沖縄移民たちなんです。
寄付を募って資金を集め550頭の豚をアメリカから沖縄に送りました。
軍の船に豚たちを乗せ太平洋を越えるのは大変だったそうです。
また当時の沖縄では白い豚が珍しかったそうです
うちの母親も白い豚をわざわざ見に行ったそうです。
それまでの沖縄のブタはアグーなので黒かったんですね
そのハワイ沖縄救済会の中心メンバーだった「外間勝美」
芸能に通じた方だったそうで募金を募るために
興行を売ったりラジオ番組を立ち上げたりと大活躍
彼の作った歌が「布哇に生きる」
布哇に生きる 作:外間勝美
我らが家は五大州とぅ
柳行李をひっ担みぃ
遥々ハワイに来びたん
心は沖縄 身はハワイ
夢は故郷の親ぬ側
涙に濡れる木の枕
鳴らすキャンプの鐘の音に
泣く泣く起きやい畑着姿
うどん汁小かきくまい
弁当 水瓶 雨河童
肩に掛きやい 宿いんぢち
カチケン ホーハナ ハッパイコー
汗水 流がち働ちゃい
受きたる勘定や金俵ーら
親に送くやい肝嬉うさ
するうちタヌムシ走うたい
島ぬ妻小呼び寄してい
産小 だんだん 産りやい
育てどぅ苦労は楽々無
今や子ゆ孫うち揃てぃ
朝夕笑とてぃ暮ちょうやびん
サトウキビのプランテーションで働く情景でしょうか?
キャンプに住んで辛い労働の日々が目に浮かびますね
「カチケン、ホーハナ、ハッパイコー」
これがなんなのか全然わからなかったのですが
移民たちの間でできた共通語で英語やハワイ語、日本語などが混ざった言葉でした。
カチケンはなんと英語「cut cane」 砂糖キビを刈ること。
ホーハナは英語とハワイのミックス。ホー(英語、鍬)ハナ(仕事、ハワイ語)クワを使って整地したり雑草をとること。
ハッパイコーはハワイ語でハッパイ(抱える)コー(砂糖キビ)でサトウキビを抱えて運ぶことだそうです。
沖縄でポチギというサラミみたいな辛いソーセージがあるのですが
それもルーツはハワイに移民したポルトガル人の
ポルトガル風ソーセージ。ポーチギューソーセージからきています。