作曲 普久原恒勇 作詞 吉川安一
1965年
唄はクララ新川さん。
彼女ははハワイ沖縄系3世ですが
沖縄に来て嘉手納基地でバイトをしながら日本語を勉強していた。
彼女のデモテープに感銘を受けた普久原が作曲
フォスターのようなメロディ
アメリカと沖縄をミックスしたような美しい三拍子の曲になった
クララさんはその後歯科医と結婚。カリフォルニアで家庭を持ちますが
海難事故で一家全員亡くなってしまう
37歳でした。
海の青さに 空の青
南の風に 緑葉の
芭蕉は情に 手を招く
常夏の国 我した島 沖縄
首里の古城の 石畳
昔を偲ぶ かたほとり
実れる芭蕉 熟れていた
緑葉の下 我した島沖縄
今は昔の首里天我那志 (すいてぃんじゃなし)首里国王様
唐ヲゥー紡ぎ はたを織り
上納捧げた 芭蕉布
浅地紺地の 我した島沖縄
芭蕉布は芭蕉の茎から繊維をとって糸を結び織った布です
庶民の着物で首里王朝への租税でした
今では大宜味村喜如嘉(おおぎみそんきじょか)が芭蕉布の里になっています。
ヲゥーというのがなんだろうとずっと謎だったんですが
とりあえず読み方は(Wu)ですね。
「わ」行のことなんですが
わワ(Wa) ゐヰ(Wi) ゑヱ(We) をヲ(Wo)は文字がありますが
(Wu)が文字がないので(ヲゥ)と表記したのでしょう
ヲゥは植物繊維の糸のことで ブーだったりプーだったりします
浅地紺地とは藍染の染め具合なのですがこれが愛情の深さを表現しています