三線教室 ONLINE 東京 by 豊岡マッシー

宮古生。首里育。東京在住。イチャリバーズ 三線 二胡 歌 絵画アーティスト 三線とオンライン教室のブログ YOUTUBE配信毎日やってます

ヒヤミカチ節(元祖)工工四

こちらはある程度弾ける方向けのトレーニング動画です


youtu.be

 

あまり弾けない方はこちら


www.youtube.com

 

f:id:TOYOsanshin:20210530103323j:plain


 今帰仁村出身の平良新助さん。
渡米してホテル経営などで成功していたんだねえ。
しかし太平洋戦争で日系人は捕虜収容所へ。財産も没収
そして戦後に沖縄に戻ったときに荒廃していた故郷を励まそうと
この曲の1番の歌詞を作ったんだねえ。
「ヒヤ!」っと声を出して立ち上がれ。
それが「ヒヤミカチウキリ」。
屋嘉節の山内盛彬(やまうち せいひん)が曲をつけ
2番以降の歌詞を加えて作ったんだ。
元はゆっくりした曲だったんだけど
カチャーシーにふさわしいテンポの速い曲となっていったんだ。
沖縄モノレール「てだこ浦西駅」の車内チャイムだよ

こちらは昔の練習動画です

youtu.be


ヒヤミカチ節 作詞作曲 山内盛彬(せいひん)作詞 平良新助  

名に立ちゅる沖縄 宝島でむぬ 心うち合わち う立ちみしょり
(名に立つ沖縄は宝島だから 心をひとつに合わせお立ちください)

稲粟ぬ稔り 弥勒世ぬ印 心うち合わち 気張いみしょり
(稲粟の実りは豊年の世の印 心ひとつに合わせがんばってください)

楽や鳴いしゅらさ 花や咲ち美らさ 我した此ぬ沖縄 世界に知らさ
(音楽は鳴り愛らしい 花は咲き美しい 私たちのこの沖縄世界に知らせよう)

人ぬ取ゆる年ぬ んぱんぱぬなゆみ うびらじに取たさ六十ばんじゃ
(人の取る年のイヤイヤと拒否できるか? 思いがけずに取ったよ60真っ盛り)

我や虎でむぬ 羽着けてぃたぼり 波路パシフィック 渡てぃなびら
(私は虎だから羽をつけてください 波路パシフィック渡りましょう)

七転び転でぃ ヒヤミカチ起きり 我した此ぬ沖縄 世界に知らさ
(七転び転んで「エイ」と言って起きよ。私たちのこの沖縄 世界に知らせよう)

「ヒヤ」は掛け声。
「ヒヤサッサ」のヒヤですね。
日本語だと「えい!」とか「それ!」とか
「ミカチ」は「ミカスン」で「〜という音を立てる」なので
ドンみかせ「ドン、ならせ」太鼓とか
バンみかせ「バン!かませ(ばんとくらわす。やっつける)」
パチみかす「パチンと音を立てて叩く」
みたいにつかいます

ヒヤミカチは早弾きの見せ場でいろんなバージョンがあるので
どれを覚えていいんかわからない。
なのでなるべく元祖を探しました。
おそらくこのマルフクレコードのものが
最初のヒヤミカチかなと思います。
工工四はここから採譜してあります。

女の子が歌ってるのかと思ったら
歌は「山内まさのり」君という方でした。
三線は山内昌栄(しょうえい)さん。
動画探したらこの方のカチャーシーはめっちゃかっこいいです。
しかもデニーさんが踊っててびっくり。
また太鼓がもの凄くかっこいいんですよね。

この動画のyoutubeチャンネルは山内ドラゴンさんというかたがやっていて迫力のあるロックシンガーです。ひょっとしてこのヒヤミカチの山内まさのり君と同一人物か兄弟かなのだろうか。また動画の太鼓もこのドラゴンさんによく似ていますね。

作曲の山内 盛彬(やまうち せいひん)を調べると古典音楽研究者なのですが男子禁制の儀式の音楽を採譜ために女装して入ったとか、ムー大陸を研究してたとかかなりユニークな方みたいですね。ヒヤミカチ節は民謡には珍しくサビがあるし、作曲家としても天才的なものがあったのかも。気になる「山内」さんです

熊本節 工工四

youtu.be

軍人節はとても美しい曲ですね
自分も改めて民謡や工工四を配信してきて
好きになった曲ですね
ところでこの歌には「ちらし」があって
「ちらし」って静かな曲をやった後に続けて演奏する
テンポの速い歌のことですが
軍人節は熊本節が「ちらし」になっています
沖縄民謡の父。普久原朝喜さんの作品。
この方って沖縄民謡界きっての天才なんじゃないだろうか
これまた独特のリズム感。素晴らしい曲です
軍人節と同じように
「出征出船の唄」という別タイトルがついています。
歌詞は標準語よりというか訳がなくてもわかる内容です。

戦争にまきこまれていく夫婦の悲しみがストレートに歌われていますね
戦中の歌。戦世の唄です


男)
我身や熊本ぬ城内ぬ努み
無蔵や母親ぬ御側勤み

女)
我身や母親ぬ孝事方すむぬ 
里や国ぬ為尽くちたぼり

男)
三年ぬ努み終(しま)ち来(ちゅ)る間や
手本立てぃる事願てぃ呉りよ 

男女)
那覇港来りば寂しさや 無蔵よ 里前 
袖濡らす涙忘してたぼな 

 

ところで熊本城のお勤めとはなんだろう。
調べたら熊本城に日本軍の司令部、病院、弾薬庫などがあったそうです。
そこに行くということだったんですね。


歌えば当時の悲しみが蘇ってきます
こういう歌がきちんと継承されていることは素晴らしい
沖縄では今でも過重な米軍基地という戦争の残り火が燃えている状態
それが消えて本当の沖縄に戻る日が来て欲しいと願いますね
歌うことでその思いを継承していきます

これは長間たかおさんのライブから音を拾いましたが
熊本節で指笛吹いている人がいて
ここは指笛は違うだろうと思いましたが
ある程度テンポのある歌なので
戦争の歌とは気づかなかったのでしょう

タカラぬシマ(沖縄復帰50周年オリジナル曲)工工四




沖縄への郷土愛
マッシーならではの島人ぬ宝だしヒヤミカチ節です
タカラぬシマという言葉はヒヤミカチ節の「宝島でむぬ」の心を受け継ぐものです
「世界に知らさ」も引用しました

タカラぬシマ

時は1972(ナインティセブンティトゥ)(復帰の年)
アメリカ世から大和世
お金も変わり道も変わり(ドルから円、730)

南の小さな島から
カンムリワシが飛び立ち
誇り取り戻したあの日(具志堅用高

風に揺れてる赤花
太鼓三線の響き
首里の歌姫が舞い降りる(安室奈美恵

でもいつも傷ついてる
フェンスに咲いた花よ(基地のフェンスにつけられた抗議のリボン)
ただこの島を守りたい

ウチナー 我した島 
大切なこの島
世界に知らそう宝ぬ島(ヒヤミカチ節)

テレビから流れてくる
懐かしいウチナーグチ
笑顔あふれる島の人よ(NHKちゅらさん

目を閉じれば思い出す
肌をつきさす太陽
ウージの森が揺れるざわめき(BOOMの島唄

いつしか島も変わり
憧れのパラダイス
戦世ぬ傷跡も薄れ(戦争の記憶)

でもいつも泣いている
埋められる美ら海よ(辺野古
ただこの島を 抱きしめたい

ウチナー 我した島 
大切な この島
世界に 知らそう タカラぬシマ

台風で 壊れても
御城(ウグシク)が 燃えても(首里城焼失)
受け継ぎ 伝える 
ただひとつの タカラぬシマ

芭蕉布 工工四 ビギナー

作曲 普久原恒勇 作詞 吉川安一  
1965年 
唄はクララ新川さん。
彼女ははハワイ沖縄系3世ですが
沖縄に来て嘉手納基地でバイトをしながら日本語を勉強していた。
彼女のデモテープに感銘を受けた普久原が作曲
フォスターのようなメロディ
アメリカと沖縄をミックスしたような美しい三拍子の曲になった

クララさんはその後歯科医と結婚。カリフォルニアで家庭を持ちますが
海難事故で一家全員亡くなってしまう
37歳でした。

youtu.be

f:id:TOYOsanshin:20210207122132j:plain


2/7「芭蕉布」web三線教室(工工四)


海の青さに 空の青
南の風に 緑葉の
芭蕉は情に 手を招く
常夏の国 我した島 沖縄

首里の古城の 石畳
昔を偲ぶ かたほとり
実れる芭蕉 熟れていた
緑葉の下 我した島沖縄

今は昔の首里天我那志 (すいてぃんじゃなし)首里国王様
唐ヲゥー紡ぎ はたを織り
上納捧げた 芭蕉布
浅地紺地の 我した島沖縄


芭蕉布芭蕉の茎から繊維をとって糸を結び織った布です
庶民の着物で首里王朝への租税でした 

今では大宜味村喜如嘉(おおぎみそんきじょか)が芭蕉布の里になっています。

ヲゥーというのがなんだろうとずっと謎だったんですが
とりあえず読み方は(Wu)ですね。
「わ」行のことなんですが
わワ(Wa) ゐヰ(Wi) ゑヱ(We) をヲ(Wo)は文字がありますが
(Wu)が文字がないので(ヲゥ)と表記したのでしょう

ヲゥは植物繊維の糸のことで ブーだったりプーだったりします
浅地紺地とは藍染の染め具合なのですがこれが愛情の深さを表現しています