三線教室 ONLINE 東京 by 豊岡マッシー

宮古生。首里育。東京在住。イチャリバーズ 三線 二胡 歌 絵画アーティスト 三線とオンライン教室のブログ YOUTUBE配信毎日やってます

19の春 工工四

「ラッパ節」が与論島に伝わって「与論ラッパ節」
そして「与論小唄」になり、沖縄で「尾類小小唄」を経て「十九の春」になったそうです。
本竹祐助さんがレコードにしてそれを田端義夫が歌ってヒットしました。

動画の中で二胡ウクレレとも一緒に弾けますよ

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わたしがあなたに惚れたのは 
ちょうど19の春でした
いまさら離縁というならば 
もとの19にしておくれ

もとの19にするならば 
庭の枯れ木をみてごらん
枯れ木に花が咲いたなら 
19にするのもやすけれど

見捨て心があるならば 
早くお知らせくださいね
歳も若くあるうちに 
思い残すな明日の花

一銭二銭の葉書さえ 
千里万里と旅をする
同じコザ市に住みながら 
逢えぬ我が身のせつなさよ

主さん主さんと呼んだとて 
主さんにゃ立派な方がある
いくら主さんと呼んだとて 
一生忘れぬ片思い

奥山住まいのウグイスは 
梅の小枝で昼寝して
春が来るよな夢をみて 
ホケキョホケキョと鳴いていた

元歌はこちら
与論小唄です

toyosanshin.hatenablog.com

いちゅび小 工工四


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エイサー曲でもある「いちゅび小」
モノレールの発射音にも使われてますね
ということでマッシー推薦沖縄曲BEST40にも入れました
いちごちゃんに惚れてっていう歌だけど実は男性のことなんです。
野苺をとりにいくという理由で好きな人に会いにいく話です

いちゅび小に 惚ふりてぃ 
座喜味 村通てぃ 通てぃ 通いぶさ
喜名ぬ 番所 
サー 思やが 来ょん かなしが 来ょん

いちゅび 小や 名じき 
あしな 迄まで通てぃ 
アバ小 忍ぶんち 毎夜通てぃ 
サー 忍ばらんさ 戻いるすがや

腰小に一惚り 目眉小に一惚り 
髪小に一惚り 丁度三惚り
サー色美らさぬ 忍びが 来ゃんで

音に豊まりる 喜名ぬ 
高平安座 恋人がやたら 武士がやたら
サー 色美らさぬ 忍びが 来ゃんで

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喜納番所 
琉球王国時代の文化交流の盛んな宿場としてにぎわった場所

仲島節 工工四

 

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仲島節
よくケーヒットゥリの次にちらしとしてでてきますね
辻 仲島 渡地
沖縄の遊郭ですね。辻はよくでてくるけど仲島の歌ですね
辻が一番高級で次が仲島だそうです
昔のバスターミナルの大きな岩があるところが仲島
たるーさんのブログで超詳しく解説しています
たるーの島唄まじめな研究 仲島節

 


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仲島の小橋 あいんある 小橋ヨー
じるが小橋やら 定み苦りしゃ

仲島の小橋 あんなにある小橋 
どれが約束の小橋なのか 決めがたい

作品「軽便汽車に乗って」に込めた想い

作品「軽便汽車に乗って」に込めた想い。
ひめゆりの子達の笑顔を戦争で失われた
ケービンに乗せてニライカナイを走らせたかった。
「軽便汽車に乗って」
(作詞、作曲、歌、演奏、絵、by豊岡マッシー)


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戦前に沖縄を走っていた小さな機関車の軽便鉄道
ケービンの愛称で親しまれていました。
南国の沖縄をトコトコ走ります。
運転手はトヨゴン。
最後に出てくる女学生は「ひめゆり
彼女達の楽しい青春の時間をこのアニメーションの中に閉じ込めておきたかった。
ケービンも戦争で破壊された。
宇宙へ飛んでいったケービンはニライカナイで百合畑を走り続けます

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車輪と煙を動かしてました。3つの画像がループしています。
三つの動きだけでも動いているように見えますね

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軽便が走るシーンを作った後に
乗客も乗せたいなと思いました
フォーシスターズの「軽便鉄道」の歌には
「親戚兄さん中学生〜
いとこの姉さん女学生〜
という歌詞があります」

そのころには学生たちがこの汽車にのっていたんだ。
そしてこの写真に大きく心を動かされました。
姫百合橋を行く軽便鉄道と女学生ら(ひめゆり平和祈念資料館)
すっごくいい写真ですよね。
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よくみると下の方まで女学生たちがいます
なにかの記念写真なんでしょうか。
ちょうど軽便が通った時に撮ったんですね
従軍看護婦となった彼女たちの運命を考えると
この当時の幸せを永遠に続かせてあげたかった
そういう気持ちになりました

 

トヨゴン軽便汽車は銀河鉄道のように
宇宙に飛んでいきます
また戻ってきたところは百合の花が咲き乱れています
乗っているのは「ひめゆり」のような女学生達

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ここは彼女達のニライカナイ
現実ではかなわなかった
楽しい青春時代が永遠に続きます

沖縄の軽便機関車は戦争前には軍用列車となり
輸送中の弾薬が大爆発を起こして
二百人もの兵士が亡くなるという悲惨な事故もありました
戦争で破壊され戦後にはレールも鉄の資源となったので
現在ほぼ残っていません。
車両も大東島で使われていたディーゼルタイプがわずかに残るだけ
自分も沖縄に鉄道が走っていたことはずっと知らなくて
実物も見たことはありませんでした

実は自分が30代のころに
東京の江古田というところに住んでいたのですが
近所にスクラップのような小さな機関車が置いてあったのです
あれはもしかして軽便機関車だったのでは???
撮影2006年

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これはやっぱり軽便です。
これは今はどうなっているのだろう?と思い
グーグルマップで見てみました
なんとあるではないですか!!
しかもきれいになっている!!真っ黒に塗られている
びっくりです。感動です。

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江古田の野戦軽便機関車「陸軍鉄道連隊E18蒸気機関車」 : 帝都を歩く

日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車 wikipedia
ドイツのコッペル社で製造された「E18」
1921年に輸入されたものだそうです

軽便を見たいと思っていたのですが
すでに自分は見ていたのでした
沖縄で走っていたものもきっとこういう感じのものだったのでしょうね
小さな汽車が南国の風景の中をトコトコ走っていく。
その情景に憧れます

 

軽便汽車に乗って 作詞作曲 豊岡マッシー

昔々沖縄で 走っていた機関車は
小さな軽便鉄道

アダンの葉陰を抜け 潮風を浴びながら
ウージ畑を抜けて ゆっくり進む

ケイビン汽車に乗って 君に会いにいく
太陽雨抜けて 那覇ぬ市小
僕を運んで行くよ

夢の中の軽便は 海を渡り空を飛び
天河原を超えて行く

いくつになっても人は 人生旅の途中
理想は遠いけれども ゆっくり進め

 

曲はデビッドバーンの映画アメリカンユートピアから刺激を受けました
行進曲みたいなやつ。
ロード・トゥ・ノーウェア
ピアニカも初めて使ってみました。

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あとがき メモ

沖縄の軽便鉄道は3つの路線
嘉手納から那覇まで。一番長い「嘉手納線」
姫百合の写真は嘉手納線だと思われます
そして那覇から与那原の「与那原線」
南風原を通るので爆発事故を起こしたのがこの線でしょう。
国場から糸満の「糸満線」

1 - 3号は 1914年 ドイツ・ヘンシェル社製 B1型タンク機関車。
4号は 1921年 日本車輌製造製 B型タンク機関車。
6 - 8号は1923年ドイツ・コッペル社製 C型タンク機関車。
11 - 14号はイギリス・エイボンサイド社製 C形タンク機関車。

最初にできたのが与那原線だそうなので。
それがドイツ・ヘンシェル社製 B1型ということでしょうか。
次にできたのが嘉手納線ですからそれは日本車輌製造製 B型タンク機関車かなと

参考ブログ
汽車好きクラーケン いにしえの鉄道を求めて・・・・

沖縄県営鉄道 wiki