福島と沖縄には大きなつながりがあるんです。
それはエイサーです。
エイサーの起源は「踊り念仏」というものです
それを沖縄に伝えたのが磐城国(いわきのくに)
の「袋中上人」でした
上人とは立派な僧という意味。
袋中とは袋の中にキリを入れておけばそれはやがて突き破って出てくる
ということから由来しているそうです
袋中は浄土宗です
浄土宗とは有名なのは「南無阿弥陀仏」ですね
「南無」は帰依しますという意味
「阿弥陀仏」に帰依しますという意味です
阿弥陀はサンスクリットのアミターバ(無限の光を持つもの)
すなわち仏のことです
浄土宗の御本尊は阿弥陀如来となります
如来とは真実(如)の世界から来た者ということだそうです
阿弥陀如来の住むところが極楽浄土です
お風呂に入って極楽〜というのは実は浄土宗だったのですね
有名な阿弥陀如来といえば鎌倉の大仏様がそうですね
ナムアミダブツを唱えれば極楽に行けるという教えで庶民に広まったそうです
袋中が琉球に来たのは51歳の時。1603年
新しい仏法を求め明に渡ろうとしたのですが
明に日本人は入れなかったのだそうだ
なぜでしょう。それは秀吉の朝鮮出兵のせいです
それで琉球経由で明に行こうとしていたのでした
琉球は尚寧王(しょうねい)の時代。
尚寧は袋中を歓迎し自身も帰依します
帰依とは「その教えを守って生きる」ということ
また沖縄の偉人、サツマイモや木綿、製糖などを広めた
「儀間真常(ぎましんじょう)」も袋中に帰依しました
尚寧は袋中のために松山に桂林寺を建てました。
袋中の教え易行易修は「ただ念ずることによって救われる」
というもので庶民に親しみやすかったのだそうだ。
そして踊り念仏というものが伝えられました
それをニンブチャー(念仏者)と呼ばれる人たちが真似し始めました
彼らは葬儀の時に呼ばれて念仏をあげて生活している者たちです
僧侶を呼べない庶民がニンブチャーをよんだのだろうか?
おそらくニンブチャーは最下層の人たちだったと思われます
首里のアンニャ(行脚)村にはニンブチャーが多く住み
チョンダラー(京太郎)ともいいました
もともとは京都からやってきた遊行芸人という説があります
チョンダラーたちは踊り念仏を農村部に広めました
それを村の青年たちが習います
そこにもともとあった民謡が融合していきます
これがエイサーになっていったのです
戦後に全島エイサー大会などで各青年会が技を競い
衣装も派手になっていき今日のエイサーとなったのでした
さて袋中は3年の滞在の後、明に渡ることを諦め帰国しました
しかしその三年後。
琉球は薩摩に侵攻されてしまいます
朝鮮出兵に琉球が協力しなかったからというのが口実でした
尚寧王は薩摩に連行されその後江戸に行き家康に会います
その道中、尚寧は袋中と会ったそうです
悲劇の琉球国王とその師ともいうべき袋中
尚寧王は軟禁された2年のあいだになんと袋中の肖像画を描いています
琉球に帰国した後それを袋中に送ったのだそうだ
さて袋中上人の伝えた念仏踊りがどういうものだったのか?
それが今ひとつわからない
例えばいわきにはジャンガラ念仏踊りという大変素晴らしい芸能があります
しかしこれも元は江戸で泡斉というお坊さんが始めたものがルーツなのだとか
袋中がいた当時はまだなかったものだと思います
そして踊り念仏というと時宗の踊り念仏があります
鐘をうちながら輪になって踊る感じで
なるほど盆踊りの原型という感じがします
浄土宗の念仏踊りもこれと似たようなものだったのだろうか?
そしてこちらの記事
八重瀬町安里にエイサーの原型!?
まじか
エイサー の原型は平敷屋エイサーみたいな感じだろうと
思っていたのですが
それも発展系で踊り念仏に近いものが
八重瀬の安里にあるというのだ