三線教室 ONLINE 東京 by 豊岡マッシー

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琉球新報「天国の首里城」

※2020年11月2日の記事です
琉球新報に載りました。結構大きく乗っていたのでうれしいなあ。

琉球新報首里城

首里城の火災の時は自分は江ノ島に旅行に行っていた。そこで姉からのラインで知ったのだった。テレビをつけると首里城が燃えていた。この衝撃は忘れることができない。

そのころのブログにこんなふうに書いてある。

子供の頃は守礼門の隣の城西小学校に通っていた。龍潭池で爆竹を鳴らして、玉陵で缶けり。石畳を自転車で上り下りしていた。当時まだ首里城はなくてそこには琉球大学があった。そのグラウンドで野球をした。この一帯は僕らの遊び場だった。

大人になって東京に出てきてから帰省するたびに少しづつ首里城ができていった。そこはいつしか王国の中心になっていった。周りも首里城公園として整備され、もう爆竹を鳴らす様な雰囲気ではなくなった。なんとなく自分たちの遊び場を取られたような気分だったけど。やっぱり丘の上の赤い城は誇らしい気持ちになった。

僕らはかつて本当に琉球王国だったんだ。そんな意識が芽生えていった。
船で東アジアの海を渡っていた王国だったのか。自分たちの歴史の物語がかんじられること。それはいつしか自分たちのアイデンティティの土台となっていったのだ。

民族の物語や誇りは必要なものだ。日本なら時代劇はたくさんあるし、黒澤監督の7人の侍とか用心棒とか。日本には昔話もたくさんある。世界で活躍する日本人もたくさんいる。日本人はすでに日本民族の物語や誇りは十二分に持っているんだ。

沖縄はまだそれが少ない。現在や戦後などの歴史文化はたくさんある。しかし、明治の沖縄のイメージってあんまりない。江戸時代の沖縄の庶民の暮らしは?天国であるニライカナイの風景は?
まだまだ沖縄の物語は少ないんです。そんな中で首里城の正殿が復活したことはそういう物語の中心ができたっていうことなんです。

これを舞台に「琉球の風」や大傑作「テンペスト」が誕生した。毎年行われる首里城祭りの王朝行列などはただのイベントを越えて琉球王国アイデンティティとして積み重なっていったんだ。

その城が消失した。

現実とは思えない光景がテレビに映し出されていた。

強く激しい喪失感に襲われた。

自分の実家がなくなったかのようだ。
親を失ったかの様だ。

できるなら死んだ正殿のそばに行きたかった。焼けた残骸のそばで首里城のお葬式がしたかった。苦しかった。
炎の映像が目に焼き付いている。
首里城の屋根の龍達が焼かれて苦しんでいるイメージが自分を苦しめた。

正殿前の龍柱は立ったまま残っていた。あの炎でよく壊れなかったものだ。
もともと予定されていた首里城祭はほとんど中止になったけど
崎山町、大中町、久場川町が悲しみの首里で旗頭をあげてくれた。
とても嬉しかった。誇らしい気持ちになった。
できれば王朝行列もやってほしかった。こんな時こそ。
城は無くなっても琉球はあるんだよっていう強いメッセージなるのだけど。
そこまでは流石に無理か。

やっと絵のイメージが湧いてきた。天国の首里城だ。滝の上の首里城
滝を描きたかった。多分、水を描きたかった。炎を消すための水。
悲しみを海に運ぶための水。
炎を消化するスプリンクラー
屋根の龍達が遊んでいる。
国王の役は翁長知事にやってもらおう。
正殿に舞踊も必要だ。四つ竹の踊りにした。
尚育王の直筆の書も焼けたと知った。
テンペストに出てきた王様だ。
その書を翁長さんに持ってもらった。
ジュゴンB子とリナさんの魂を運ぶアヤハベルはもちろんいる。
沖縄で亡くなったもの達が天国にいる姿だ。
涙の海には進貢船が浮かんでいる。文化を運ぶ御冠船だ。
ここから芸能が復活する
ちなみに日の丸に見える旗は日輪というものだ。

うるま市の殺害事件があってからこういう追悼の絵ばかりを描いている。
悲しいときは絵を描く。それを見てもらうことで、共感してもらうことで、苦しい気持ちが薄まる。
箱庭療法の様なものだ。自分で絵の世界をコントロールして組み上げていく中で心のバランスを取っていく
祭壇、仏壇、お葬式と同じだ。

絵を描きながら、SNS用の横型、次にコンビニでプリントするためのA3横型。インスタグラム用の真四角、スマホ用の縦型。バナー用の横型、いろんなサイズを作っていった。こんなことが滞りなくパパっとできる様になってしまっていた。沖縄が悲しいことばかりだから、こういうことが得意になっていた

辺野古や高江、うるま市、悲しいことがたくさんある。それがまさか地元の首里で起きようとは。完全に当事者側になってしまった。沖縄人のアイデンティティが音を立てて崩れていった様な酷い出来事だった。
幸いなことは死者がいなかったこと、本当に多くの方が協力やチャリティを表明してくれていることだ。ありがたいことだ。
ゆっくりと首里城は再建していけるだろう。
正殿が蘇る日までこの絵を飾っておこう。

天国の首里城 縦A3