唄者 大浜みね 通事安京 大浜博起 比屋根孝子
八重山民謡の安里屋ユンタです。安里屋ユンタの元歌。三線はなくて男女が交互に歌っていますね。これがユンタ(結歌)なんです。畑仕事しながらみんなで歌う歌です。
安里屋のクヤマちゃん。美しく生まれたよ。
首里から来た役人の目指主(みざししゅ)が賄い女(現地妻)に欲しいと言った。「与人親(あたりょうや)」も欲しいと言ったよ。
クヤマ「目指主も与人親も私は嫌ですよ。どうして嫌かと言いますと私は島の男と一緒になりたいのです。それが島のためになるのです。」
当時は人頭税といって離島は首里王朝から過酷な税金を取られていたので賄い女になればそれも免除、畑ももらえるとセレブ待遇だったのにそれを断った。クヤマちゃんは偉いね!という歌です。
しかし!これにもさらに元歌があったのです。
目差主(みざししゅ)が安里屋のクヤマちゃんを賄い女に欲しいと言った。
しかしクヤマはもっと上の役職の「与人親(あたりょうや)」がいいと断った。
ガッカリした「目差主」はそのあとに「イスケマ」ちゃんにお願いしたら「OKよ」ということで、大事に持ち帰ったとさ。という内容です。
なんと最初の安里屋ユンタの主人公は役人の「目差主」だったのです。びっくりです。おそらく本当にこういうことがあったんだろうというような歌ですね。
お囃子もハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ となってます
また竹富の集落と西と東で違うそうで
元は西
東はチンダラチンダラヨーと歌います。
合いの手で繰り返す時に「マタ」ハーリヌ
なのでマタとハーリヌは別々なんですね。
インドネシア語のマタハリ(太陽)とはやっぱり関係ないですね。
まとめると安里屋ユンタは3つ
竹富島のオリジナル
(西)「ヒヤ安里屋ぬクヤマ〜チンダラ カヌシャマヨー」
(東)「ヒヤ安里屋ぬクヤマ〜チンダラ チンダラヨー」
↓
八重山民謡バージョン「サー安里屋ぬクヤマ〜ツンダラ カヌシャマヨー」
↓
標準語バージョン「サー君は野中の〜」
一番有名な標準語バージョンでは元歌と全く関係のない内容になってクヤマちゃんも出てきませんが「サーユイユイ」や「マタハーリヌ ツンダラ カヌシャマヨー」は残った。お囃し言葉ってすごいなと思いますね。
そして実はもう一つバージョンがあります。
「安里屋節」
安里屋ユンタは庶民の歌う労働歌ですがこれが八重山の士族の中で「節歌」として作られました。
節歌は何かというと士族が三線に乗せて歌う歌です。つまり元のユンタは三線がなくて手拍子なんかで歌うんですね。高価な三線は宮廷音楽、士族のものなのでもともと庶民にはありませんでした。メロディは全く違うので歌詞だけ使った感じです。もともと士族を茶化すのが安里屋ユンタだと思うんだけど、、それを士族側が採用したってことなんでしょうかね?不思議な感じがしますが。こちらはツンダラはなくて代わりにウヤキ(富貴 金持ち)ヨーヌ ユバナウレ(世ば直れ)が入ります。世も栄えてよくなれーみたいなお囃子言葉です。
そのクヤマちゃん。ちゃんと実在の人物です。与人の賄い女となり与人が首里に戻る時に畑を献上され77歳まで生きたようです。独身で子供はいないと思うけど。いたとしても与人が首里に連れていっちゃうんだろうなあ。残されたクヤマの人生幸せだったんだろうか。間引きで殺される子供を引き取って育てたという話がある。ほんとだろうか?
竹富島グーグルマップで生誕の地を見ることができます。お墓もあります。