三線教室 ONLINE 東京 by 豊岡マッシー

宮古生。首里育。東京在住。イチャリバーズ 三線 二胡 歌 絵画アーティスト 三線とオンライン教室のブログ YOUTUBE配信毎日やってます

マッシー紹介工工四

豊岡マッシー(TOYO)1968年宮古生まれ首里育ち。東京在住の三線ミュージシャン。
マッシーのライブ演奏、映像作品、講演など(YOUTUBE)
沖縄民謡、沖縄POPS、外国曲、オリジナル、幻想的な二胡カチャーシー、ファンタジックな絵画や映像アート、デザインなどなどマルチアーティスト。沖縄料理屋ライブ、沖縄講演、平和学習、修学旅行、youtubeライブ配信、指笛講師、島太鼓、三線教室、結婚式、葬儀場での献奏。などなど   豊岡マッシーお問合せ

三線教室
西新井アリオセブンカルチャー三線教室  火曜日10:30コース 火曜日19:15コース
三線ワークショップ
月いち日曜で新宿や御徒町あたりで16時より。カチャーシー、指笛、二胡習いたい方もどうぞ。豊岡マッシーお問合せ

とっても見やすいマッシーオリジナル工工四三線レッスン動画、
曲の解説、沖縄の話などなど。各曲の工工四にリンクでGo!!

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レットイットビー

マッシー三線youtube。登録者5000人記念ということで、、なんと、、


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ビートルスのレットイットビーー
作詞作曲はポールマッカートニー

ビートルズの解散前。バンドは分裂の危機を迎えてポールは悩んでいました。
そんなとき亡くなった母親メアリーが夢に現れて
「あるがままに受け入れなさい(レットイットビー)」と言ったのだとか。
そしてビートルズ最後のアルバムのタイトルが「レットイットビー」ですね

ポールの母親メアリーは彼が14歳の時に亡くなったのだそうです。
ジョンレノンも17歳で母を亡くしています。
そんな絆も二人にはあったのかもしれませんね
あとポールのイエスタデイも母親のことを歌った歌です。


銀河鉄道999(三線のみで歌う)

なんとゴダイゴ銀河鉄道999です。
これはほんと名曲だね。
これを実際ステージで三線だけを弾きながら歌うにはどうすればいいのか。
(メロディを弾くわけではない)
悩んで色々試した挙句こういう感じになりました。


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こういう感じが一番自然じゃないかな。
コードを弾くのに近い感じですが。
それを表記する方法も工工四でもないしタブ譜でもないし。
こういうポジションマークのような方法を考えてみた
工工四と同じように右から下に読みます

どうですか?やってみてね〜
工工四だと♯や♭つけまくらないといけないので
こういう表記がわかりやすいかもね



東京ブギウギ

イントロとエンディング含めた完成バージョン

https://youtube.com/live/eXlS1mTeBg8?feature=share


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日本の名曲 
服部良一の東京ブギウギ
やっぱり素晴らしい曲ですね
三線でも弾きやすいですよ



パート1 歌メロのところ中心 


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バヌアツ共和国で三線!!

youtu.be

なんとご縁あってバヌアツ共和国に行ってきました。三線も演奏してきました。人生こんなことが起こるとは、、驚きです。

バヌアツはフィジーニューカレドニアの間ぐらいの島国です。人口は30万ぐらい。
イギリスとフランスの統治だったそうで両方の文化があるそうです。2月で気温30度。湿度85%。沖縄みたいでちょうどいい。天気もよかった。

行きはフィジーから乗り換え。トランジットで5時間ぐらい待った。バヌアツの首都ポートビラへはプロペラ機だったよ。
バヌアツの首都ポートビラのあるエファテ島。草原みたいなのがある。

ポートビラの街並み。カラフル。

鳳凰木やガジュマル、モクマオウ、クバ、いろいろ沖縄と共通の植物。ヤモリもケケケって鳴いてた。

博物館で砂絵の実演。これはすごい。複雑な模様を左右対称にひと筆書きで書いていく。神秘的です。

海沿いのマーケット。カラフルな布が風になびいてすごくきれい。


街中の布屋さん。ここでアイランドドレスを仕立ててもらう。カラフルな生地がならんでます。

各国大使を招いたレセプションでも演奏「てぃんさぐぬ花」「安里屋ユンタ」やりました〜

なんとバヌアツのニケニケ大統領にも三線の解説をしました

レセプションの動画はこちらで少し見れます


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TANNAコーヒー。めっちゃいいところ。一日中居たい。

何犬だろうか??メッチャ人懐こい。

ブレイカズリゾートでランチ。ここもめっちゃいいところ。ここでパソコン仕事したい。


メラネシア系の方がほとんどですね。カラフルで大きな傘がとても似合う。

海沿いのクラフトマーケットの近くの公園。鳳凰木やモクマオウの木の下で三線ライブ!在バヌアツ日本人のみなさんに協力していただいてジャンベにタンバリン。宮古島のクイチャーやキジムナーをやりましたよ。

周りのバヌアツの方は踊るとかはなかったですが興味深く見てくれてたみたいですよ。

マーケット。大きい〜ー。バナナやパパイヤなどありましたね。

帰りはニューカレドニア経由で成田へ。フランス語圏なので不安だったけど日本語で「乗り継ぎ」って書いてあった。入出国カードなんかも特になしで簡単だった。ここのカフェで3時間待ちます。飲み物をフランで買って人生初めて「メルシー」と言ったよ。

 

「三線物語」小説を書きました

沖縄の戦前から戦後へ。
三線の名器「馬小(ウマグヮー)」を手にした三世代のウチナーンチュ。
それぞれの時代を生きた歌三線と愛と家族の物語。
豊岡マッシーの力作です。ぜひお読みくださいね〜。
将来的にはこのお話を一人芝居で三線を弾きながら公演したいですー
それで全国を回れるようになりたいな〜

第一章「チョウエイ」

照喜名の長男「朝栄(チョウエイ)」は家をそっと抜け出して毛遊びの場所「龍潭(りゅうたん)」へと向かったさあ。布の中には三線「馬小(ウマグヮ)」と泡盛が隠してあった。ちゃんとした古典舞踊曲も好きだけど、やっぱりよ、カチャーシーが一番好きなわけ。朝栄は親に内緒で毛遊び(モーアシビ)に通っていたわけさあ。

目印の大きな赤木の前にはすでに仲間が集まって盛り上がっていたよ。知らない顔もたくさん居るようだね。遠い村からも若者が集っているんだねえ。三線の達人、朝栄の毛遊びは人気があったからねえ。

酒も肴もまだまだ残っている。首里は酒造所がたくさんあるから泡盛には困らない。水は近くの瑞泉(ズイセン)の湧水がある。親の高価な古酒を持ってきているものもいたさあ。

「だー、チョウエイ。三線小持ってきたか?今日もばんない、はなやかしてよ」
(どれ朝栄。三線持ってきたか?今日もたくさん盛り上げてよ)
「ちゃーしんだろ、ジラー。あんまし笑わさんけーよ。歌えんくなるさ」
(当たり前だろ次郎。あまり笑わせるなよ。歌えなくなるからさ)
朝栄はいきなりトップギアからカチャーシーを弾き始めた。

「サー今日どぅ 遊ばりる な何時遊ばりが ヒヤ」
(今日こそ遊ばないで 何時遊ぶのだ)
「弾ちみそり三線小 乗してぃさびら」
(弾いてください、三線を、私が歌を乗せて見せよう)

三線が鳴るとお調子者のジラーが早速踊りだした。彼にしかできない独特の踊りにみんな笑いころげたよ。それに負けじとセイメイが得意の空手の演舞を見せ始めた。もうあとは訳がわからない。踊りの渦が至る所に出来よった。

そんなカオスの中で朝栄はテンポを上げたり下げたり皆の踊りにうねりを作っていった。馬小は音は大きいが音色が安定しない暴れ馬だった。それでも辛抱強くコントロールすると音が整いよく響く。皆の手拍子や指笛にも三線が埋もれることはない。その旋律に歌をのせれば朝栄はどこまでも飛んでいける気がしたさあ。踊り手がヘトヘトになっても朝栄は楽々と空を駆けているようだったよ。

三線の馬小は朝栄が父親の朝薫と一緒に作ったものだった。朝薫は船乗りだったから唐船に乗って中国や東南アジアを巡り家には珍しいものがたくさんあった。朝薫は息子に棹になるクルチ(黒檀)を選ばせた。1番真黒で1番重そうなクルチを選びよった。照喜名家に何十年も寝かされカラカラに乾燥した銘木よ。

父と子で毎日交代で棹を削り出していった。それは一ヶ月も続いたよ。ノコギリの刃はすっかりボロボロになったさあ。最後は朝薫が見事に仕上げた。船の修理もできる朝薫は木の扱いに慣れていたからねえ。やや太めの知念大工の型。バランスは少し不恰好だったけど磨くと眩い光沢が現れ黒い宝石のようだったよ。出来上がった三線には「馬六甲」という漢字が彫られた。その意味を朝栄はわからなかったけど、この三線を馬小(ウマグヮー)と呼んでいつも弾いていたさあ。

朝栄の三線でも踊らない娘がいた。金城のチルーだ。チルーの踊りを見てみたかったけど座っているチルーを見るだけでも朝栄は幸せだったよ。チルーは踊りよりも歌を読むのが好きだったからねえ。

「思てぃ通らば 千里ん一里」
「逢わん戻らば 元ぬ千里」

「チルーどういう意味ねえ?」
「好きな人のことを思って歩けば千里も一里のようなものよ。会えずに帰ればまた元の千里よ」
「はっさ、千里も歩いたのに会えんかったら悲しいあらに」
「そうやって帰っていくあなたが愛おしいっていう歌よ」
「はあー、わざといないフリして帰しそうだな」
「フフフ」

朝栄はそれをナークニーの節に乗せてみた。八八八六の文字数に足りないからあまり上手く乗らなかった。でもチルーと何か心の深いところで繋がれたような気がして嬉しかった。夜が明けるまでも続きそうな毛遊びは雨が降ってやっと解散になった。

沖縄に大きな嵐が近づいていた。戦争という暴風だ。首里城には日本軍の部隊が駐屯するようになった。その下に司令部壕を掘るために朝栄たちは毎日駆り出された。手は豆だらけになって三線や毛遊びどころではなくなってしまった。

そしてついに米軍が沖縄島に上陸する。チルーは従軍看護婦となり、朝栄は鉄血勤皇隊となる運命だ。これで二人は会えなくなってしまう。朝栄は馬小を赤木の根元に隠した。そしていつか必ずここで会おうとチルーと固い約束をした。

地獄の沖縄戦が始まった。島は艦砲射撃で穴だらけにされた。避難した者は暗いガマの中で集団自決に追いやられた。朝栄の鉄血勤皇隊は伝令となって各部隊を回った。そして多くの学友がその途中で死んでいった。カチャーシのジラーも空手のセイメイも砕け散った。朝栄も艦砲弾で吹き飛ばされ気を失った。

朦朧とした夢の中で朝栄は何かの背中に乗っていた。馬だろうか。三線の馬小が本物の馬になって助けに来てくれたんだ。その背中に揺られながら朝栄はどこかに運ばれて行った。

捕虜収容所で朝栄は目が覚めた。彼を運んだアメリカーはこんな子供が戦っていたことに驚いていた。朝栄の部隊は全滅していたが、彼は奇跡的に生き残った。

「なちかしや沖縄。戦場になやい。世間御万人ぬ流す涙」

空き缶にパラシュートの糸を張ってカンカラ三線を作った。それは心に空いた大きな穴を少しの間は癒してくれた。
「我ーの馬小はまだあそこにあるんだろうか。チルーは生きているのか。親兄弟はどこにいるのか」
朝栄はたまらず収容所を抜け出した。足の怪我のせいでゆっくりとしか歩けなかったが、水牛のような歩みで遠い首里へと向かって歩きだした。

「思てぃ通らば千里ん一里」やさ

翌朝たどり着いた首里は瓦礫の山だった。実家の照喜納家も無くなっていた。丘の上には首里城守礼門もなかった。ここは一体どこなのか。首里が無くなってしまった。しかしあの赤木は奇跡的に一本だけ燃え残っているではないか。そしてそこには馬小を持ったチルーが立っていた。

「夢じゃないねー?」
チルーも奇跡的に生き残り毎日ここで朝栄を待っていたのだった。

「チョウエイ!生きていてくれた」
「チルー(思てぃ通らば千里ん一里)の意味がわかったよ」
「逢えないかもしれないのに帰ることなど考えられないほど逢いたくてたまらないっていう歌だ」
チルーも泣きながら頷いた。

朝栄は実家の跡地に沖縄そば屋「てるきなソバ」を作った。だいぶ歳をとった父朝薫も立派な看板を作ってくれた。とにかく食べることが一番楽しい。美味しいものを食べるのだ。多くの人々がひもじい思いをして亡くなっていった。親戚兄弟。老若男女。沖縄の4人に一人が死んだ。生き残った者たちはどうすればよいのか。亡くなったものたちを想いながら悲しみをかき混ぜてカチャーシーを踊ろうじゃないか。生き残った人々と命のお祝いをするのだ。目を閉じればあいつらが踊っている。
「だー チョウエイ 三線小持ってきたか 今日も命のお祝いやさ」
「ジラーよ ヤーのカチャーシー もっと見たかったやっさー」
馬小の三線が毎晩響いた。
「サー今日どぅ 遊ばりる な何時遊ばりが ヒヤ」
亡くなった者たちの魂を何人も何人もその音に乗せてニライカナイへと運んでいった。

第二章「カズコ」

和子はそば屋の看板娘。平和を願って和子と名付けられたって。その笑顔には皆が癒された。器用な子で見よう見まねで父の三線もいつの間にか覚えてしまったよ。馬小は今や和子のものになっていたさあ。小さな手を一生懸命動かしながら勘所を正確に押さえていく。馬小の音色も熟成され柔らかく優しく響くようになっていたよ。もう暴れ馬ではなかったさあ。

「思てぃ通らば千里ん一里」
まだ童ーなのに大人顔負けの歌唱力さあ。
「アキサミヨー かずこー まだお前には恋の歌は早いよー」
そう言いながらツルは笑った。

それを聴きながら沖縄そばを仕込んでいる朝栄。子供は1人しかできなかったけど毎日が幸せだった。仏壇の中の朝薫も笑って目を細めているようだった。

戦争が終わってどのぐらい経ったのか。沖縄はいたるところに米軍基地が作られ米軍の支配する島になっていたさあ。ときおり上空を戦闘機が爆音を立てて飛んでいく。また戦争が起こるのではないか。夜中に目が覚めることも何度もあった。砲弾の破片が刺さったままの足をさする。眠れない時は歌を作って工工四に書き留めていた。

悲劇は突然に起こってしまった。朝栄の運転する車に米兵の車が追突したのだ。和子とツルが病院に着いた時には既に朝栄は亡くなっていた。酒酔い運転の米兵は本国へ帰りわずかばかりの見舞金が支払われた。2人は深い悲しみに暮れた。なぜこんな思いをしなければならないのか。あの戦を乗り越えて生き残ったのに。父を返せ。島を返せ。沖縄を返せ。その叫びをかき消すように空を米軍機が飛んでいった。

お通夜の後に和子は馬小を取って朝栄の工工四を弾いてみた。
「生まれ島や、何時ぬ日までぃん、色美らさある姿」
(生まれ島よ 何時の日までも。美しいままの姿で)
「オトーはこういう歌を書いていたのか。」
父の育った子供の頃の風景が歌われているようだった。自分を育んでくれたものへの感謝の歌のようだった。


歌詞は全部はできていなかった。ツルは自然と次の句が思い浮かんださあ。
「生まれ変わる 時や来ーん またくまで行逢いぶさ」
(生まれ変わる時が来てもまたここで出会いたい)
「チョウエイ。きっとまた来世でも、あなたと巡り会おうね。またあの赤木の前で会いましょう」

首里の中学校で祖国復帰運動の集会があった。大勢の市民が米軍の事故や犯罪に腹を立てていた。メガネをかけ髭を生やした弁士が壇上で力強く言った。「沖縄中が声を上げればそれは荒波を越えてワシントンを動かすことができる」聴衆は拍手喝采した。「いいぞ!カメジローー」

そこで和子は朝栄のことを話すことになった。マイクの前で緊張しながらも父の人生を語る。人々を励ますためにソバを作り三線を弾いたことを。てるきなソバは人々が集い笑い慰め合う場所になっていた。それを自分は受け継ぎ守っていくことを。静まり返った会場からは啜り泣く声が聞こえたさあ。そして「生まれ島や」を歌った。

馬小は優しく和子の歌を乗せ首里の空高く駆け上がった。チョウエイの魂をニライカナイに届けるかのようにいつもより長い長い余韻が響いたよ。天からオトーの声が聞こえてきたようだった。
「かずこー泣くなよ。本当に平和な時代もやがてくるよ。命こそ宝だよ」

和子の歌はいつしか評判となり、ついにマルフクレコードから発売されることになった。沖縄中のラジオから照喜名和子の歌と馬小の三線が流れたさあ。畑仕事のハルサー。市場のアンマー。トラックの運転手。国際通りの土産物屋。いろんな人がこの歌を聴いた。そして普天間のバーでもあるアメリカ人がこれを聴いていた。

音楽の好きなジェイクはおよそ軍隊には馴染めない男だった。かつて父も来たことがある沖縄にウクレレを手にやって来たさあ。訓練は毎日殴られ罵倒される辛い日々だったけど、沖縄の海は故郷のように美しくて寂しくはなかった。

店の奥にあるジュークボックスから美しい声と旋律が聞こえてきた。このバンジョーに似た音の楽器はなんだろう。曲は三拍子だろうか。普通の沖縄民謡とは少し違うスタイルのようだ。この歌手に会ってみたい。首里でそば屋をやっているそうだ。ジェイクは首里という地名は聞き覚えがあった

店に突然アメリカーがやってきたので和子とツルは驚き固まった。歌を聴いて来たというので和子は怒りが込み上げてきた。
「私の民謡を聞くアメリカーがいるのか」
「お前の聴いた三線はこの馬小だ」
「これを作った父はアメリカーに追突されて死んだ」

和子は泣きながら怒りをぶつけた。
ジェイクはすまないと言って店を出るしかなかった。

店が終わった和子は瑞泉に水を汲みに行った。龍潭からなにか楽器の音が聞こえてきた。それは美しいコード進行に彩られた「生まれ島や」だった。さっき店に来たアメリカーが小さなギターを弾いていたのだった。

和子を見つけたジェイクはゆっくり片言の日本語で話し始めた。
「かずこさん」
「私の父は沖縄にいました」
「少女たちを助けました」
「彼女たちは壕の中から出てこなかった」
「通訳が説得してやっと出てきました」
「彼女達はシュリのズイセンといいます」


和子は驚いた。ズイセンとは母ツルがいた従軍看護婦首里高校の瑞泉学徒隊のことだ。首里城から出る湧水にちなんだ名前だ。あなたのお父さんが母を助けたというのか。集団自決する前に助け出したのか。なんという運命だろう。なんという巡り合わせだろう。

和子はジェイクに三線を教えるようになった。ツルは心配するだろうから秘密にしていた。今日も砂辺の防波堤に座って和子は馬小を弾いた。
「砂辺浜降りて 語らなや今宵」
ジェイクはなれない手つきで踊りを真似てみた。
それがあまりに酷いので和子は笑ってしまった。

ジェイクの故郷の歌を教えてもらった。
「アロハオエ」
三線で弾いてみるとそれはまるで沖縄民謡のように聞こえた。

それをジェイクは泣きながら聞いていた。
「かずこさん。僕はベトナムに行かなくてはいけない。でも必ず帰ってくるからこの三線をまた聞かせてほしい」

照喜納の離れ家でジェイクは自分のネックレスを和子につけた。それは彼の家に代々伝わるという緑色の小さな宝石だった。

「鶏や歌るとぅん 夜や明きてぃ くいるなよ」


どうか鳥よ鳴いてくれるな。夜が明ければ彼は行ってしまうから


ジェイクは結局帰ってこなかった。
沖縄が日本に復帰しても、ベトナム戦争が終わっても、彼の消息は分からなかった。生きているのか死んでいるのか。和子は砂辺に行って何度もアロハオエを弾いた。振り向いたらそこにジェイクが立っている。そう願って歌った。
アンティル ウイ ミート アゲイン」(また会う日まで)

その歌詞が現実になると信じた。
しかし彼は現れなかった。


そして和子は三線が弾けなくなってしまった。

馬小は仏壇の隣の床間に飾られるようになりしばしの眠りについた。


第三章「アーサー」

朝男の目は青かった。首里では珍しかった。おかげで学校では「ヤギの目」「ヒージャーミー」といって虐められた。そんな彼を和子は慰めた。
「あさおー。あんたの目はエメラルドみたいに綺麗だよ。ヒージャーみたいに黄色じゃないでしょう。そして見た目の違いはただの皮一枚だよ(カーギどう皮どぅやる)だよ。(マクトゥ ソーケー ナンクルナイサー)誠実であればなんとかなるよ。さあご先祖様にウートートゥしなさい」

仏壇に手を合わせながら朝男は思った。自分にはなんで父親がいないんか。父ちゃんは我ーを捨てたあらに。床の間の今は誰も弾かなくなった馬小を彼は爪弾いてみた。
「オジイ、教えてくれよ」
しかし答えは何も返ってこなかった。
海に囲まれたこの島で彼は出口のない思いに駆られていた。

高校になった朝男はエレキギターに出会った。その音は衝撃だった。見えない壁を叩き壊すようなパワーに一瞬にして虜になった。Aサインバーでガルシアの弾くディープパープルを毎回見に行った。

彼がフィリピンに帰るというのでギターとアンプを安く譲ってもらった。
「アーサーお前は才能がある。どんどん弾いたらいいよ」
「俺も君たちを忘れないようにタトゥをいれたよ」
「LEQUIOS!レキオスは俺の先祖のポルトガル人が琉球人をそう呼んだのさ」

朝男はそのLEQUIOSという響きと綴りがとにかくかっこいいと思った。
かつてアジアの海を股にかけたを古の琉球人達。
北極星をたよりに大海原をかける彼らのことを朝男は思い描いた。
ガルシアのギターにLEQUIOSとペイントした。


三線に慣れていた朝男はギターがどんどん上達した。ガルシアから教えてもらったギター奏法。パワーコードチョーキングピッキングハーモニクスハウリングフィードバック。もうガルシアよりも上手くなったかもしれん。見た目もアメリカーっぽいから、いろんなバンドから声がかかった。朝男はアーサーテルキナと名乗るようになったさあ。

ステージでは、ジミヘンの真似をしてみせて、アメリカの国家を演奏しよった。アメリカーもウチナーも客は大ウケ。朝男は自分の居場所を見つけたような気がしたよ。父親のいない友人もここにはたくさんいたからね。しかし見た目と違って朝男は英語は話せないさーねー。アメリカ人のメンバーが冗談でからかいよった「アーサーいったいお前は何人なんだ?」「ウチナーグチしか話せないアメリカーだな」みんな笑ったけどよ、彼は笑えなかった。
「だからよ。我ーは何人だばー?」

今では動かなくなったジュークボックスにもたれながらぼんやりと壁を眺める。壁はサインの入った一ドル札で埋まっていた。戦地に赴く兵士たちがまた帰ってこれるようにとの思いを託したものだ。この中には父の物もあるのだろうか。


「アンマー 父ちゃんは どんな人だったねえ?」
「優しくて音楽が好きな人だったよ。アサオはジェイクにそっくりよ」
ベトナムで生きているか死んでいるかもわからない。ひょっとしたら大きな怪我をしてハワイにもどったのかもねえ」
「アサオは父ちゃんに会ってみたいねえ?」

朝男にはその勇気はなかった。父は自分を受け入れてくれるのだろうか。会えない悲しみよりも自分の存在を否定される恐怖の方が優っていた。そもそも俺がいることを父は知らない。生きていれば手紙ぐらいよこすだろうに。
考えるうちに母がかわいそうになってきた。
母をずっと一人しておいて。我ーはジェイクを許さんからな。
朝男の父への想いは愛憎入り混じった複雑なものだった。

沖縄は戦争の島という暗いイメージから南国のリゾートアイランドへと代わっていった。海洋博も終わり車も左側通行になった。夏になれば真っ白な肌の観光客が眩しかった。戦争の傷跡も小さくなっていったさあ。

ツルは沖縄戦語り部になっていた。今日も修学旅行生たちに戦争の話を聞かせてきた。死んだ学友のことを伝えることが彼女の傷を癒すことでもあった。アメリカのことは今でも嫌いだけど、孫の朝男は目に入れても痛くないほど可愛がったよ。

「オバー。モーアシビーってどんな感じだったねえ?」
「懐かさんやー。昔やっていた場所に朝男も一緒に行ってみよう」
二人は馬小を持ってかつての毛遊びの場所へ行ったさあ。赤木は台風で折れて朽ちてしまっていたけどよ、その後に芽吹いたアコウの樹が大きな枝を広げていた。


「おばあとおじいは毛遊びで出会ったんだよ」
「おじいはモーアシビーのスターだったさあ。カッコよかったよ」
「今のあんたみたいさあ。血は争えないねえ」

そう言われて朝男は嬉しかった。思うままに三線を弾いてみた。馬小もこの時を待っていたかのようだった。朝栄が押さえた勘所に朝男の指が磁石のように吸い付きよった。でもまだ冬眠から覚めたばかりの三線。ぎこちなくて何度も振り落されそうになりながらも朝男は弾くのをやめられなかった。
「面白いな」
「でーじ面白いやっさ」
「だからみんなやっていたんか」
「だからみんな踊っていたんか」
朝栄が乗り移ったように旋律がするすると湧き上がってきた。それを見てツルはまだチルーと呼ばれていた頃が蘇ってきた。


ああ、私もあの時チョウエイの三線で踊っておけばよかった。ツルは生まれて初めてカチャーシーを踊った。朝栄の見たかったチルーのカチャーシー。それはとても優雅で舞踊のようだったよ。

翌朝、三線の弦は切れて蛇皮も破れていた。その弦を張り替え胴を交換しながら朝男は三線に彫られた漢字に気がついた。「馬六甲」これが馬小の名前なのか。辞典でその意味を調べてみた。馬六甲はマラッカという意味だった。マレーシアにあるマラッカ海峡のマラッカさあ。仏壇の写真を見る。朝栄の父、ひいおじいの朝薫は船乗りだった。照喜名家の先祖は唐船に乗ってこの馬小の黒檀をマラッカで仕入れたのだろうか。それを今俺が弾いているのか。
なんと!我ーはレキオスの子孫じゃないか。
朝男に電流が走った。


マラッカの港から積まれたクルチ。唐船の旅。照喜納家。朝薫と朝栄で三線に生まれ変わる。朝栄とチルー達の毛遊び。赤木の前での再会。命のお祝い。カメジローの集会。母のレコード。ジェイクとの砂辺の浜。悲しみのアロハオエ。馬小と照喜納家百年の歴史が彼に中に一気に流れ込んできたようだった。

本当に大事なものはずっと側にあってずっと気がつかなかったのか。

朝男はいつしかやりたいことが瑞泉の泉のように湧いてきよった。沖縄音階をロックに融合させるのはどうだろう。一緒に曲を作っていたオルガンのジョーも賛成した。彼もそろそろ沖縄ならではのオリジナリティが必要だと感じていたからや。そして英語ではなくてウチナーグチで歌うのもいいかもしれない。最後はカチャーシーを踊るのもいいかもしれない。

大きく膨らんだ想いに南風が吹いてきた。旅の準備ができたのだろうか。レキオスの訪れた地。福州。フィリピン。タイ。ベトナム。そして馬小の故郷マラッカ。
朝男は馬小と一緒ならどこまでも飛べる気がしてきた。

父の故郷ハワイへ行く勇気もそのうちでてくるのだろう。
「アンマーも一緒に行ってみるか」
「そうね。あさおが一緒なら。そのうち行ってみるのもいいかもね」
和子は首のエメラルドをさすりながら笑った。

「思てぃ通らば千里ん一里」「逢わん戻らば元の千里」
「チョウエイ。朝男も自分なりにこの歌の意味を見つけたようだねえ」

目の前にはエメラルドの海が広がっていた。
それは世界につながっている海だった。
「馬小、百年ぶりの里帰りやさ」


お終い


あとがき

この作品は映画フォレストガンプのように沖縄史の中を三代のウチナーンチュと三線の馬小で繋いだお話となっています。生き残った人々を「命のお祝い」で励ました小那覇舞天さん。「艦砲喰えー残さー」の作者比嘉恒敏さん。はたまた玉城デニー知事の影響もあることでしょう。
 また僕の育った首里。ハンタン山の赤木に芽吹いたアコウの樹はいまでも首里城の隣に大きな枝を広げています。先代の礎の上に新しい世代が栄えていく。様々な困難を次の世代が乗り越えていく。沖縄に向き合うときに自分が大きな指針としていることでもあります。
 またマレーシアでの公演がこのお話を書き始める大きなきっかけとなりました。マラッカを漢字で表現することは公演のために作ったTシャツがもとになっています。レキオスも訪れたマラッカの海には美しい海上モスクが建っていました。様々な人々が出会い影響を与えていくこの世界の御縁に感謝。テレマカシー!